2014年5月1日木曜日

アイルトン・セナの20回忌です!

きょう5月1日は、

あの音速の貴公子と呼ばれた

アイルトン・セナの20回忌です。

ネオの黒板の前にも

カサブランカの花と

セナの肖像画を飾りました。


この絵は、ネオママの友人でもある 青山「えり華」のご主人、花岡さんから

譲り受けたものです。

なんでも花岡さんのお友達が鈴鹿サーキットでのセナを描いたものだそうです。

私たち家族が無類のF1好き!という事を知ってくださりいただきました。

せっかくなので、

お店に飾って、お客さまにも見ていただきたいと想い、飾りました。



以下の文章は、ネオスケさんが当店の情報誌「窓をあけよう!」に書いたものです。


   
    
      「アイルトンセナ音速の貴公子」   ネオスケこと辻信之

 
 1994年5月1日、モータースポーツファンならわすれられぬ日である。

今年は2014年、あれからすでに20年の歳月が流れていった。

モータースポーツの最高峰F1(フォーミラーワン)その歴史の中で、最も

偉大なドライバーといえば 誰もがセナを選ぶだろう。スキー事故で入院中

のミハエルシューマッハ、彼のF1の記録はアイルトンセナを遥かに凌ぐ、

けれど残念ながら彼の長いレース歴で語り継がれるようなレースは少ない。

 1987年から毎年僕はセナの走る姿を見てきた。

1988年の鈴鹿で彼は優勝し初のワールドチャンピオンに輝いた。レースの

ウィニングラップを走っている時セナは、スプーンコーナーの先に光に

包まれて天高く昇っていく神の姿を見たとインタビューで語っていた。

当時ヨーロッパを中心に行われていたF1レース、ファクトリーと呼ばれる

工場も会社もほとんどがイギリスにあった。ブラジル人のセナは、

ヨーロッパの貴族文化が、色濃く残る世界に足を踏み入れた異邦人であった。

彼の武器は最強と言われたホンダのエンジンと彼を世界一にしたいと願う

本田宗一郎の力強いバックアップだった。F1文化にとっては異端とも言える

アジアの日本と南米ブラジルのタッグは、ヨーロッパの強豪を破り3回も

ワールドチャンピオンを獲得した。

しかしホンダは1992年F1を撤退して、失意の1年をセナは過ごした。

心機一転フランスのルノーエンジンを搭載したウィリアムズで94年セナは

シーズンにのぞんだ。それは、第3戦イタリア サンマリノGPで起きた。

312キロのスピードでコントロールを失ったセナのマシンは、タンブレノコーナー

のコンクリートウオールに激突した。セナの意識はすでになかったと

伝えられているが、上空の映像からはセナのヘルメットが少し動いた

様子が捉えられている。その時セナは光に包まれて天国の階段を昇って

行ったのかもしれない。

アイルトン セナ・ダジルバ、君は「音速の貴公子」と呼ばれ、聖書を小脇に

抱えてサーキットに入って来たね。

君と同時代を生きることができた僕たちレースファンは幸せだった。

アイルトンセナ財団は今もブラジルのストリートチルドレンに援助を

続けて親のいない、親から捨てられてしまった子供たちを支えている。





きょうは、一日 セナの事を考えて過ごしたいと思っている私たち

辻ファミリーです。

長い文章をお読み頂きまして、ありがとうございます。